[ テーマ: もう少しってあるのかな。 ]
2011年12月2日23:41:00
雨が降らないだけ良しとしなければと思う。が、思いっきり寒い。分かり難いことが目の前にぶら下がっているが、できることをひとつ、ひとつ、コツコツとやっていくのみである。スケジュールを確認しながら時間が経過していく。明日は雨降りが昼過ぎまで続いて、夕方には天気が回復するようである。神宮外苑の秋の深まりを感じる時間が訪れていない。
Mさんに携帯メールする。タイミングが合うと、まあ40分程度で喉越しビールを何を気にすることなくスーッといつもの会話ができる。曜日、そして時間を見ながらメールする。瞬時に返信が入ることがわかりり易くて良い。今日も、タイミングはパーフェクトであった。動きを見られていたようで、とびっくりしていた。
こんなタイミングで、ひと時を過ごすことのできる友人を貴重であると思う。仕事帰りにランニングして、それから喉越しのビールと言ったタイミングもあるが、先ず以って、走りに行く行為が減ってしまっていることが残念である。神宮外苑の銀杏並木を感じる時間がないことが残念である。
[ テーマ: 健康・からだ ]
2011年12月1日23:22:00
今日は、朝から氷雨が降っての寒々しい一日であった。夜の駅からの家路が傘を差さずに歩けたことが幸いであった。年末ジャンボ宝くじが方々の駅を降り立つといつもよりも声高に呼び込みをしている。ここ、池袋駅東口でも同様である。そう、これからから打ち合わせのために待ち合わせをする。午後5時の池袋駅周辺は、人波と待ち合わせでごった返している。こんな中で、待ち合わせの為にひとり立っていると人寂しくなってくる。私にとって待たせることはまずない。
そんな待ち合わせする時間に、こんなことを思ったりする。今、家族が大事であるとまた、今更に思ったりする。まあ、自由奔放にそれぞれ勝手に動いている子供達であるが、ここ最近どこかのタイミングで顔を合わすようになったり、携帯メールのやりとりが前よりも頻繁になってきた。今週末には、長男が本所吾妻橋の事務所片付けに手伝ってくれるようである。
そう、こんなことを考える時には、決まってランニングを出来ていない。そして、肩こりに気付いたりもするが、ああ、こんな時は、スーッと寄り道して汗を流せたらと思ってもそんな準備はできていなかった。ロッカーの中に、そんなワンセットが準備できていたら、と過去にも思ったことがあった。日曜日は、天気が回復するようである。
[ テーマ: 節目の時に、 ]
2011年11月30日23:23:00
明日から師走である。本当に、日々の過ぎるのが早い。昨日は、Y社長とののど越しビールのミーティングはまた、異常に盛り上がってしまいオーバードリンクになってしまう。また、副島隆彦著『金・ドル体制の終わり』祥伝社を渡すのも彼らしい。今日は、早速その中の内容で、白川日銀総裁が評価されて表されていることを使わせて頂いた。来春、高校の同窓会で会うだろうと言っていたNさんとは、これから仕事ができそうな会話となった。
Y社長との出逢いから今ある姿も不思議であるが、人の出逢いとそれからについては本当に解らないものである。温故知新も大切なことである。そして、今を充実させることに頭を巡らす。品川で月一回の協力業者の打ち合わせ会に参加する。二回目の参加でまだ、雰囲気も理解できないが、きちんと対応しなければいけない。次回は、21日で打ち合わせ会の後に、忘年会を開催すると発表であった。
12月は、このようなパターンで重複することが多い。15日の予定も同じように参加予定であったイベントを欠席させて頂くメールを発信したばかりであった。21日は、遅れての参加とするつもりである。そんな日々は、またバタバタと過ぎていくであろうが、一方で、ランニングの時間を確保しなくちゃあと思う。まあ、こんなものだろう、そして、毎年更新している手帳も時間を見つけてやらねばならない。
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[ テーマ: もう少しってあるのかな。 ]
2011年11月29日23:37:00
晩秋を迎えるこんな季節には、身近な場所で紅葉と山茶花の花を見ることができる。そんな身近なところで目にする紅葉は、桜の紅葉そして、落ち葉であるが、感じたところをスナップに表現することが難しい。
昼過ぎに神田の事務所での打ち合わせする前の時間に、上野公園の『法然と親鸞ゆかりの名宝』展を再び観ることになった。多分、これからわざわざ予定しての時間は、この開催中に無理だと思ったからであった。どのくらい時間観ることが許されるのかと思いつつ、少しだけボーッとしながら待った。このボーッとしながらが私には苦手なことのひとつであった。デジカメを操りながら周辺の秋の訪づれをまた、ブログの文章を考えたりする。そして、どんな音楽を聴きながら、この限られた至福の時間を過ごしたらと限られたところで選曲を巡らした。
そして、イーグルスの『ならず者』を、それから自ら命を絶った、加藤和彦さんの鎮魂歌『悲しみは言葉にならない』を聴きながら蓮如筆『歎異抄』そして、国宝 親鸞筆『教行信証(坂東本)』を鑑賞した。枯れ草の文章を感じながら、この至福のひと時過ごした。こんな時間も、ほんの一時でまた雑踏の駅に戻って仕事バージョンに舞い戻ってしまう。上野公園で深まる秋の姿を感じながら少しでも過ごせたことは一瞬のオアシスであった。
夜は秋葉原で、IT会社を経営するY社長とビールの喉越しを楽しんだ。異業種交流を体験してからの友人のひとりY社長は、副島隆彦著『金・ドル体制の終わり』祥伝社を読み終わったんでと渡された。25日新大阪からの帰りの新幹線が、10分だけ違っていた不思議な会話があった。必ず答えを出しながら日々を過ごす彼のバイタリティーにまた、刺激されながら負けない日々を過ごそうと、ひとりまた思いを巡らしながら帰りの電車でまたボーっと過ごす。
[ テーマ: 落語の世界 ]
2011年11月28日23:24:00
日曜日の夕方からの上野黒門亭での第二回「じょーだんでしょ」 林家たこ平 三遊亭歌太郎のふたり会は、贅沢な寄席であった。まあ、二つ目の歌太郎さんは、もう何度か聴いている。自宅でも先日大阪でのNHK演芸大賞新人賞決勝大会を録画してあり、雰囲気を楽しむこともできる。 落語家をめざしている若者にもたくさんの人達がいるであろう。まだまだ落語の世界は、イントロダクションであるが、歌太郎さんを応援したくなった。まあ、一過性ですぐに飽きてしまうかもしれないが注意して足を運んでみようと思う。
ふたり会が良いのか、それとも独り会が良いのかもこれからであるが、神田神保町か、上野が会場で、それも二時間と負担とならない。12月26日(月)が黒門亭で第三回「じょーだんでしょ」となる。その他の会場もスケジュール表に記入する。そして、12月は、やっぱり普段より飲み会の誘いが多くなっていることに気付く。プライオリティーを考えながら、そして、大阪出張も考慮しながら12月、1月を考えていく。
こんなことをしていると、また、走っていないことを考える。ランニングクラブのメールも数多く入ってくるが、刺激も薄らいでしまっていることに気付かされてしまう。こんな具合でも1月のハーフマラソンをエントリーしていたのは良かったと思っている。フルマラソンを走ったランニング仲間の記録が、今の私に刺激を与えてくれる。また、数年後に東京マラソンも走ってみようと思っている。そして、こんなイベント参加のスタートが、また今回もエントリーしているサンスポ千葉マリンマラソンであった。そしてまた、12月26日(月)が黒門亭で第三回「じょーだんでしょ」と、また、スケジュール表を確認する。
[ テーマ: 落語の世界 ]
2011年11月27日23:26:00
日曜日の朝は、本所吾妻橋のマクドナルドでホッと一息をいれた。ここ2年以上殆ど来ることのなかった事務所を片付けにこの週末を予定していた。取り敢えず好きではない車の運転をして事務所に到着したが、その乱雑さに我ながら呆れてしまう。自宅に持ち帰る予定であるコピー機は、ひとりでは移動できないことがわかった。まあ、その前に乱雑なものを整理して少しすっきりさせよう。3時頃には、家に帰っていたいと思っている。今晩は、歌太郎さんの落語を上野に聴きに行く。そして、落語の世界を教えてくれたMさんを誘った。
長男に連絡した返事が返ってきた。昨日の朝は、久し振りに気持ちを込めて、電話の対応からスピーディーにせねばと、いい加減な対応の無能さを叱った。我が家のふたりの子供達は、自由奔放に日々を過ごしている。私自身は、そんな姿勢で良いと思っているが、柔軟性のある感じ方、考え方を持てるような姿を期待するも、ただハラハラと見守っているばかりである。
そんな日曜日の夜は、上野の黒門亭で素晴らしく、そして贅沢な二つ目のふたりの落語を堪能した。この上野 黒門町は落語の世界には大切な地名のようである。落語ブームでなく、落語家ブームである今、そしてこれからに期待できるふたりの高座であった。私にとって、テレビは録画して後から時間を見つけてになっている。亡くなった立川談志師匠の追悼番組 NHKBS『立川談志 71歳の反逆児』を観た。Mさんも、この反逆児は好きになれないと、そして、こんな話題にしたもうひとりの方にも嫌われていた。題目『芝浜』に始まって、この番組は『芝浜』に終わっていたがまた、私を好きにさせた。
[ テーマ: 父の詠んでる短歌 ]
2011年11月26日23:18:00
残念であるが、父は意固地なくらい短歌を詠むことに抵抗感を示している。私が電話しても、創作意欲を示さなくなっている。この半年ほどの中で、岩波新書から小高賢著『老いの歌』が出版されていることを書評等で知ったことも後押しして、創作意欲を促したつもりであったが進展しない。逆に、一年前に亡くなった叔父へ線香を手向けに来いと逆襲された。
三十一文字でひとつの世界を表現できることに憧れる。そんな短歌の世界であるが、今の私にとって20分から30分をこのブログを費やす時間だと決めている。一首の短歌に費やす時間は、そんな時間では済まないのであろうと、そして、言葉を書き記すことは、単なるメモ程度で良いんだと、今の私にとって楽しんで書き記して置くと言った感じには到底なれない。
『ひとり仕事術』は、こんな駄文を記すことでも少しづつ私自身を整理してくれる。 今週も、いろんなことが私の周辺であった。明確なことで進展すること、立場を優先させて歯切れの悪い発言で進展しないことの方が多い。ある自民党国会議員の政治家パーティーにも初めて参加する機会があった。遣らねばならないことも山積している。
[ テーマ: もう少しってあるのかな。 ]
2011年11月23日23:22:00
風の強い日は、ベランダから富士の霊峰を観ることができる。故郷山梨の象徴であると親密感を感じている。祝日の今日は、数日前に来春米寿を迎える父からの電話で早朝自宅を出発して実家へ車で帰省した。予定より早く着いたことと、途中でのフロントガラス越しに余りに雄大な富士山を見つけたことで、岩殿山からのスナップ写真の撮影を思い立った。たまたまトレッキングシューズを履いていたんで40分程のハイキングには、丁度良かった。
まだ8時前の風景は空気も爽やかで、何枚もの風景を被写体にすることができた。昼過ぎの早めの帰路での富士山の方向は、既に朝観ることのできたその姿は雲に隠れていて観ることはできなかった。やはり随分と紹介されるこの岩殿山もハイキング姿の何組もの集団に出会って、場違いな姿の私は雰囲気を乱していたようであった。そう余りに軽装であることは、過去に高尾山へ走りに行った時にサンダルで途中に出会った若者の集団を思い出させた。
そして、富士山に登ったことをふと思い出す。過去に3回登っているが、最初の2回が、夜五合目からであって残りの一回は、馬返しと言うほぼ麓から走って登ったのが数年前のことである。眼下に見下ろせる雲海とその切れ間に見える景色のみの、ただ溶岩がゴロゴロしている単調な登山道である。
もう少し視力が良かった頃に観ることができた星空と流れ星は、いまでもセピア色に褪せてしまったが私の脳裏に蘇ってくる。願わくば、富士登山競争に挑戦してみようと、そのイントロダクションである五合目コースには、来年エントリーする予定である。
今シーズンのマラソンも、横浜国際女子駅伝で何とOさんが32位で2時間59分台のサブスリーで朝日新聞に掲載されていた。今日は、大田原マラソンにランニング仲間が何人も参加している。日曜日には、河口湖マラソン、そしてつくばマラソンにも多くの仲間がエントリーしている。日々時間を割いて調整に励んで参加している仲間を羨ましく、そして刺激にしながら、1月はハーフマラソンを気持ち良く完走しようと思っている。そして、それにブレーキを掛けるように忘年会の予定も埋められていく。
[ テーマ: 読書 ]
2011年11月22日06:26:00
「風のように流れ去る時間があれば、泥のごとく滞る歳月もある。」と、朝日新聞の天声人語は、このようにオウム真理教事件を書き出している。1995年3月地下鉄サリン事件をどのような状況で聞いたか、今でも鮮明に覚えている。16年前であったが、それからの私は、光陰矢の如くの日々の経過であった。一方で、泥のごとく滞った歳月経験された被害者の方々の姿が昨晩のニュース番組で報道されていた。
世の中は、いろんな立場でいろんな局面を迎えながら日々を過ごしているが、遣らねばならないことは単純なのに、立場を優先させると単純であるべき事柄にブレーキが掛かって進展しなくなってしまう。きちんとした規定、ルールに管理されて過ごしたサラリーマン生活から一転して、この6年間にいろんな中小零細企業、ベンチャー企業を内側から経験している。まあ、政局がそんな動きの際たるものだとしたら寂しい限りである。
第三次補正予算を成立させると、自民党は消費税解散を照準にして国会を解散させる動きに徹するようである。デフレ対策は何ら進展しないところに、3.11東日本大震災を経験して被災地は厳しい寒さに向っている。今、何が必要なのかを国会議員は全く理解していない。遅ればせながら、池上彰著『知らないと恥をかく世界の大問題』角川SSC新書を読み始めた。2009年10月の出版であるが、私自身にはちょうど良い時代背景である。どうも、小説を読めるような気持ちになれない今の私である。
[ テーマ: 健康・からだ ]
2011年11月20日23:12:00
天気に誘われて雨上がりの自宅周辺をジョギングする。勿論、デジカメを持って深まる秋を満喫した。近所の畑にこんな野菜の美しさを見つけた。はじめて目にする赤色だいこんの被写体が、はくさいの緑色が構成する色と形のコントラストに見入って暫く立ち止まってしまった。それから、デジカメでは表現できないそんな一抹の歯痒さを感じながらまた走りだした。
共同家庭菜園には、菊の花がいろんなバリエーションで花盛りであった。雨露が野菜の葉のうえで朝の陽の光に輝いている。また、ここでもどうやったら表現できるかとデジカメの機能を駆使するも、理解できていないものには簡単に限界があった。アングルそれに構図と私自身の感性だけでは満足できない物足りなさを感じながらであった。
埼玉県立近代美術館の公園に銀杏があったことを思いだす。何年か前に立ち寄った時に少し時期が遅かったことを思い出した。神宮外苑の銀杏並木は、まだまだこれからであったが、ここの銀杏は黄金色が輝いていて絶景であった。そう、緑色とのコントラストも今だから感じられる美しさであった。